高島移住体験レポート①
13:50にマキノ駅に集合し、いろあわせの図司さん、コーディネーターの奥澤さん、高島市役所の職員の方、他の参加者1名と「トクデン株式会社 マキノ工場」へ企業訪問に向かいました。
トクデンさんの主要製品は、リチウムイオン電池や飛行機等を製造するための部材である「誘導発熱ジャケットロール」と食品を焼いたり、部品の乾燥が可能な「過熱蒸気発生装置 (UPSS)」。国内だけでなく、海外にも製品を納入しているそう。訪問させて頂いたマキノ工場では、誘導発熱ジャケットロールを製造しているそうです。
工場長の平郡さんと管理課の前河さんに工場を案内して頂きました。
工場と聞くと、男性が多く働いているイメージがありました。また、工場内も暗い、うるさい、汚いというイメージでしたが、しかし、トクデンさんでは工場で勤務する女性も多いとのこと。確かに工場内で働く女性が多いと感じました。また、広く、明るい上に静かであり、こういった環境のため、女性も働きやすいのだと感じました。
福利厚生としては、社員食堂では調理師が作った食事が一食350円で食べられたり、独身寮があるそうです。新卒入社は5年間、中途入社は3年間無償で住むことができるとのこと。また、社員による業務改善を推奨しているように、会社全体が現状に満足せず、常に向上心を持って仕事をしていると感じました。
この工場があるマキノ町での暮らしについて、平郡さんと前河さんもおっしゃっていたが、電車の本数が一時間に1本のため、住むには車が必須。買い物は隣町の今津へ行くのだが、車で15分程なので特に不便さは感じないとのこと。
トクデンさんの職場環境は素晴らしいと感じたが、現状、社員を募集してもなかなか応募者がおらず、地元の学生も街の企業に就職してしまうとのことで、地元にも世界に誇れる企業、働きやすい企業があると知らないのはもったいないと感じました。
企業訪問終了後、メタセコイア並木を通って海津大崎の桜並木のある場所へ向かいました。
メタセコイア並木は、もともとマキノ町の果樹生産組合が整備事業の一環として植えたようで、地域の人々によって延長され、新・日本の街路樹百景にも選ばれています。
海津大崎の桜並木。季節が違うのでもちろん桜を見ることはできませんが、葉っぱがほのかに色づいていて、これもいい景色でした。是非、桜の時期に改めて行ってみたいと思いました。
桜並木から見る琵琶湖
海津浜の石積みも見られる。
海津大崎の桜並木を後にし、宿泊する「ラシーヌホーム 針江」へ向かいました。
針江地区の家庭には「川端(かばた)」と呼ばれるしくみがあります。これは、湧き水(生水・しょうず)を飲料や料理、食器洗い、野菜を冷やす等に利用しており、最後に琵琶湖に流れるまで汚さないようにしているとのこと。
メタセコイア並木だけでなく、海津大崎の桜並木や海津浜の石積、針江地区の生水も日本の百選に選ばれており、高島の豊かな自然を感じることができた上、人々の暮らしも感じることができた一日でした。
高島移住体験レポート②
8:40に宿を出発し、まずは私塾の始まりともいわれる「藤樹書院」へ向かいました。
ここでは、ガイドさんより中江藤樹が日本で陽明学を広めた人物であること、江戸時代の当時はあまり日の目を見ることはありませんでしたが (幕府は朱子学のため)、当時の村人たちから「藤樹先生」と慕われていたこと、また、現在でも、高島市内の小学3年生~6年生に「藤樹先生」という副読本を配布しており、子供の頃から教えに触れることができること等を教えていただきました。
藤樹書院内には「致良知」、「五事を正す」といった藤樹先生の教えが掲げられています。
その後向かった「中江藤樹記念館」でも、藤樹先生の教えや「あかぎれこうやくの話」等の逸話を教えていただきました。私はこの話を初めて知りましたが、藤樹先生の考えや人柄が表れていると感じ、また、ほかの逸話も読んでみたいと思いました。
また、藤樹書院の模型や「鑑草」、「翁問答」等の展示、藤樹先生の教えが熊沢蕃山をはじめとする門人たちによって全国に広められたことなどを知ることができました。
中江藤樹記念館を後にして、次に向かったのは「すいた扇子」。
こちらでは、扇子の絵付け体験を行った。
まずは、紙に鉛筆で下絵を描く。見本があるので、紙の下に敷いて描いた。
次に絵具で色付けして絵付けは終了。これに扇骨がつけられ、後日完成品が送られてくる。
扇子になると蛇腹折りになるので、描いた絵とは少し違って見えるそうです。
安曇川町では、伝統産業として扇骨(扇子の骨)が作られており、全国90%のシェアを誇っています。扇骨の製造工程は、親骨が18、仲骨が16工程にもおよび、すべて手作業の分業制。また、扇子の種類によって、骨の長さや枚数等が異なるそうです。
かつては、全工程を把握している職人が何人かいたそうですが、現在は1人だけとのこと。また、若い年代の職人も少ないと聞きました。これらの工程の中で一つでも欠けてしまうと製品にならないし、全国に誇る産業なので是非続いてほしいと思いました。
2日間の移住体験を通じて、高島の人々は、暮らしや自然だけでなく、地元の偉人に誇りや親しみを持っており、この街が好きなのだと感じました。